- 2018-11-29 (Thu)14:39
- 近藤雅世
- マーケット全般
筆者が初めて市場を見学したのは、マレーシアの錫市場であった。1987年のことだ。商社の鉛・亜鉛・錫チームリーダーとしてマレーシアから錫を買い付けに行った時のことだ。驚いたことに、市場とは名ばかりで、細長いテーブルがあって、時間が来ると数人がそこに立って取引を行う。立ったままでお互いに名指しあって口々に叫んでいる。現地語なので全くわからなかったが価格と数量を取引していることだけは伺い知れた。要は市場とは市場関係者が一定の時間に一定の場所に集まって取引する場所のことなのだということを体感した。これは大阪の淀屋の軒先で自然発生したコメ市場でも同じであり、ロンドンのコーヒーショップから始まったLondon Metal Exchange(LME)でも同じである。鉛・亜鉛・錫チームを卒業して移った貴金属チームではこのLMEにおける日本で唯一のリングメンバーであるトライランドメタルを管理管轄した。LMEは、大きな部屋に丸いリングが床に描かれ、それを囲んで13人のディーラーが椅子に座る。各セッションの最初の数分は静かだが、残りの数分になると突然全員総立ちで相手を指さして大声で叫びあう。椅子の後ろに立った記帳係がどのディーラーとそのセッションの銅やアルミ地金をいくらで何ロット売ったり買ったりしたかを互いの身振りを観察しながら記帳し、怒号の瞬間が終わると相手先とその契約内容を調合する。また、ロンドンのロスチャイルド銀行の中にある黄金の間では、楕円形のテーブルを置いた小さな部屋に5人の銀行員が座り、昔ながらの黒い卓上電話を片手に本店と会話しながら5人の間で金の取引を行う。ディーリングそのものは、始まると扉を閉められてしまうので想像の姿であるが、こんな小さな部屋で世界の金価格は決められていた。それがロンドンフィキシング価格であった。東京商品取引所のゴムの市場も壮観であった。階段状の部屋に円形に商品取引員の場立ちの人が座り、立ち合い時間が始まると舞台中央に陣取った立会人が価格を唱え、場立ちが一斉に手を振る。それをバードウォッチのように売り枚数と買い枚数を数えて、売りが何枚、買いが何枚と唱える。数量の違いを取った〜という大声で叫ぶ取引員が現れ、その帳場の帳尻は合うことになる。これは板寄せ手法と呼ばれ、日本独自の取引方法であった。現在のハイフリークエンシー売買など入る余地のない取引で、価格構成に不正な方法が入りにくく、ザラバ方式と異なり時間優先の原則が存在しないため発注時間の有利、不利が無く、さらに、証券取引所の競売買(オークション)方式である板寄せとは異なり、売り手と買い手の注文枚数が完全一致したところで約定値段となるため、世界中の取引所取引の中で最も価格の透明性が高い(ガラス張り)取引だと言えた。しかし、時間を短縮する時代の波は市場をザラバ方式に移し、今ではコンピューターの中でマッチングが瞬時に行われるのが市場となった。そうした変遷が良いことなのか悪いことなのかわからないが、かっての市場は既視感のあるダイナミックさを体感できる場であったと言える。
<< 市場とは何か その26 |
| 市場とは何か その24 >>