- 2018-06-13 (Wed)20:11
- 近藤雅世
- マーケット全般
ここでは、市場について考えてみたい。小さい頃名古屋の片隅に田光市場という市場(いちば)があった。二列のコの字型の通路をはさんで、八百屋や魚屋、肉屋に乾物屋、駄菓子屋とひしめくように店が並び、うどんを打っているお婆さんが作ったうどんは父親の毎日の昼食の定番で、つやがあって光っており、固からず、柔らかからず、今でも一番おいしいうどんだったと思っている。
なぜ市場があるのかというと、一か所に様々な店舗が軒を並べた方が客にとって便利だからであろう。客が集まれば店も増える。
もう一つの市場(いちば)の思い出は、香港駐在員だったころ、フェロシリコンを買いに、福建省の福州まで飛行機で飛び、そこから列車で15時間乗ったところに、三明市という内陸の都市があった。台湾の反対側にあり、台湾を攻撃する場合の軍需工場がたくさんある大きな町である。ここからさらに車で8時間ほど山奥に入ったところにフェロシリコンの工場がある。山道の悪路を揺られ,つり革に必死につかまっていると、突然窓の外が多くの人で溢れるようになり、ドアにゴツンゴツンと人が当たる。車が市場(いちば)の真ん中をゆっくりと移動していたのだ。こんな山奥の僻地に、どうして雲霞のごとく人が現れるのだろうと不思議に思った。そこでは、売り子が大声を張りあげて何か怒鳴っている。その一方で買い物用の麻袋をもったおばさんが、商品を指さして威勢よく呼び声に応える。おそらく値段を値切っているのであろう。まるで喧嘩をしているようだ。
日本人は商品を定価で買うことに慣れている。というより慣らされている。これは江戸時代今の三越の前進の越後屋が「現金掛値なし」という商法で大当たりをとって以来の風習であろう。当時の江戸では、反物を買うのに、お高くとまった店先で値段をせねばならなかった。それを越後屋の主人三井高利は、反物を着物サイズに切って定価で販売をした。この時以来、定価販売に慣れ親しむことになったものと思われる。
目を海外に移すと、たいがい価格は交渉事で決まっている。売り手と買い手はそれぞれに値を言い合い、折り合った価格で商談が成立する。市場(いちば)は生産者が作った品物を持ち寄り、そこに消費者が集まって買い漁る場所である。
実は、市場(いちば)は生産者よりも消費者に有利なように出来ている。ほとんどの市場(いちば)は複数の生産者が軒を並べるからだ。消費者は良い商品やお値打ちな商品を選ぶことができる場所が市場であり、生産者にとっては、そこにも持ち込めば自ら行商して売り歩く必要が無い所である。つまり、生産者にとっては、できれば個別に売り歩いた方が高く売れる。市場(いちば)に持ち込めば売る手間は省けるが、競争的に販売せざるを得ない。そう、「市場」と「競争」は切っても切れない縁なのである。
筆者が米国のアルコア社の代理店業務をやっていた時、航空機の材料はアルコア社しかできない独占販売であった。そのため、米国人営業部長は毎年販売価格を一定率だけ上げてきた。彼に言わせると、毎年生産コストは上昇しているので、それを販売価格に転嫁するのは当たり前だという概念であった。アルコア社しかできないスペックだったので、それはまかり通ったが、その後日本のアルミメーカーが同じような製品を作ることに成功し、顧客は日米のメーカーを天秤にかけるようになった。このことでわかるのは、独占すれば、生産者の価格はまかり通るということである。従って、生産者はよく生産者仲間で会合を開いて価格やシェアを話し合って高く売る策略を練った。こうした行為は今では独占禁止法違反の行為となり、談合やカルテルはできなくなっている。
読者のみなさんに、今回知っていただきたいことは、市場とは、消費者のためにあるということだ。消費者を生産者から守るために存在する。ところが、日本の消費者はそのことをよくわかっていない節がある。消費者はもっと市場を活用して、自分が買うものを安く買うために利用すべきである。ところが日本の商品市場は、投資の場としての観点が強すぎるので、市場参加者は価格が上がることを望んでいることが多い。商品先物市場は売りからも入れるので価格が下がっても利益を上げることができるが、それよりも、ガソリンや穀物、コメなど自らが実際に購入する商品を安くすることを望んで然るべきである。
なぜ市場があるのかというと、一か所に様々な店舗が軒を並べた方が客にとって便利だからであろう。客が集まれば店も増える。
もう一つの市場(いちば)の思い出は、香港駐在員だったころ、フェロシリコンを買いに、福建省の福州まで飛行機で飛び、そこから列車で15時間乗ったところに、三明市という内陸の都市があった。台湾の反対側にあり、台湾を攻撃する場合の軍需工場がたくさんある大きな町である。ここからさらに車で8時間ほど山奥に入ったところにフェロシリコンの工場がある。山道の悪路を揺られ,つり革に必死につかまっていると、突然窓の外が多くの人で溢れるようになり、ドアにゴツンゴツンと人が当たる。車が市場(いちば)の真ん中をゆっくりと移動していたのだ。こんな山奥の僻地に、どうして雲霞のごとく人が現れるのだろうと不思議に思った。そこでは、売り子が大声を張りあげて何か怒鳴っている。その一方で買い物用の麻袋をもったおばさんが、商品を指さして威勢よく呼び声に応える。おそらく値段を値切っているのであろう。まるで喧嘩をしているようだ。
日本人は商品を定価で買うことに慣れている。というより慣らされている。これは江戸時代今の三越の前進の越後屋が「現金掛値なし」という商法で大当たりをとって以来の風習であろう。当時の江戸では、反物を買うのに、お高くとまった店先で値段をせねばならなかった。それを越後屋の主人三井高利は、反物を着物サイズに切って定価で販売をした。この時以来、定価販売に慣れ親しむことになったものと思われる。
目を海外に移すと、たいがい価格は交渉事で決まっている。売り手と買い手はそれぞれに値を言い合い、折り合った価格で商談が成立する。市場(いちば)は生産者が作った品物を持ち寄り、そこに消費者が集まって買い漁る場所である。
実は、市場(いちば)は生産者よりも消費者に有利なように出来ている。ほとんどの市場(いちば)は複数の生産者が軒を並べるからだ。消費者は良い商品やお値打ちな商品を選ぶことができる場所が市場であり、生産者にとっては、そこにも持ち込めば自ら行商して売り歩く必要が無い所である。つまり、生産者にとっては、できれば個別に売り歩いた方が高く売れる。市場(いちば)に持ち込めば売る手間は省けるが、競争的に販売せざるを得ない。そう、「市場」と「競争」は切っても切れない縁なのである。
筆者が米国のアルコア社の代理店業務をやっていた時、航空機の材料はアルコア社しかできない独占販売であった。そのため、米国人営業部長は毎年販売価格を一定率だけ上げてきた。彼に言わせると、毎年生産コストは上昇しているので、それを販売価格に転嫁するのは当たり前だという概念であった。アルコア社しかできないスペックだったので、それはまかり通ったが、その後日本のアルミメーカーが同じような製品を作ることに成功し、顧客は日米のメーカーを天秤にかけるようになった。このことでわかるのは、独占すれば、生産者の価格はまかり通るということである。従って、生産者はよく生産者仲間で会合を開いて価格やシェアを話し合って高く売る策略を練った。こうした行為は今では独占禁止法違反の行為となり、談合やカルテルはできなくなっている。
読者のみなさんに、今回知っていただきたいことは、市場とは、消費者のためにあるということだ。消費者を生産者から守るために存在する。ところが、日本の消費者はそのことをよくわかっていない節がある。消費者はもっと市場を活用して、自分が買うものを安く買うために利用すべきである。ところが日本の商品市場は、投資の場としての観点が強すぎるので、市場参加者は価格が上がることを望んでいることが多い。商品先物市場は売りからも入れるので価格が下がっても利益を上げることができるが、それよりも、ガソリンや穀物、コメなど自らが実際に購入する商品を安くすることを望んで然るべきである。
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