- 2018-02-21 (Wed)12:27
- 近藤雅世
- マーケット全般
今週の株式会社 コモディティー インテリジェンス発行の『週刊ゴールド』に書いたことであるが、インド政府の金に対する政策の変化はなかなか面白いものがある。World Gold Councilはそれについてレポートを発表した。これによると以下となる。
1947年のインド独立当時のインド政府は金の保有を禁止していた。また1968年の金制限芳により金の取引も厳しく制限された。14カラット以上の金の宝飾品の製造は禁止され、個人や家庭が金を保有することは禁じられた。
人間は面白いもので政府が制限すればするほど金が欲しくなる。当時のインドの通貨は信用ならなかった。またインドそのものも信用できなかった時代であろう。個人的な感想であるが、インド人やイラン人等中近東の人々は相手をだますのが当たり前でだまされた方が悪いという論理がまかり通っていた。そうした信用のおけない人々の間では、家族間の取引こそ唯一の信用できる取引となる。華僑や印僑のネットワークが発達したのも、こうした信用不安の中でいかに商売するかというために堅固にクローズされた組織が出来上がたのであろう。筆者の実体験であるが、華僑との取引は大変難しい。相手を信用しないことが前提であるから商売すること自体が困難である。ところが、ひとたび華僑の信用を勝ち取ると、何でも言うことが通るようになり、取引はどんどん大きくなる。一つの例を挙げると香港駐在員の頃、韓国からアルミの形材を購入して中国に販売するという販路を切り開いた。お互いに初めは国籍の違う信頼できない者通しであった。中国の工場に納入した韓国製材料に傷がありクレームを受けた。現地に飛んで写真を撮り韓国に送った。しかし初めの何度かは全く取り合ってくれなかった。それにもめげず、商売を続けると、だんだん信用がついてきた。日本人の言うことは間違いないと韓国人が信用してくれ始めた。中国人も何かと私の立場を考えてくれるようになり、何年か経つとクレームでも写真一枚送ればその分の損害を現金でくれたり、代わりの物を黙って送ってくれるようになった。そうなれば中国の顧客も私に対する信頼が確立した。相乗効果で取引は伸びた。しかし、そうした信用は一朝一夕でできるものではない。だが、ひとたび信用がつけば後の取引は実にスムースに友好的に動く。韓国人と日本人、中国人の取引の輪ができた。
失敗したのは香港華僑から北朝鮮産の亜鉛を日本向けに買った時だ。当時は北朝鮮との取引は何の支障もなく行われており、マカオの代表部から香港華僑を通じて亜鉛地金を買って日本に送った。ところが、取引が完了した2ヵ月後に亜鉛地金の価格が急騰した。東京は大儲けができて、もっとないかと矢の催促を受けた。ところが、香港華僑と面談すると、にこやかに私を出迎えながら「あなたは亜鉛地金価格がこんなに上がることをわかっていたのか?」と笑いながら聞く。若造だった私は「それは天下の大商社です。価格が上がることは当然知ってました」と答えてしまった。香港最大の華僑は、その後5年の私の駐在期間中、一度も私には北朝鮮産のおいしい地金の話はしてくれず、もっぱら小口のスクラップの話ばかりであった。後で気がついたことであるが、華僑の考え方は、価格が上がることがわかっていて購入したのは、華僑の相手を騙したことに等しい。わかっていたら利益は折半するというのが華僑の掟であることを若造の私は知らなかったのだ。それに気付かされた私は商売は安く買って高く売ることではなく、信用を勝ち取ることが最短距離だという哲学を学んだ。つまり相手の立場をおもんぱかって相手の利益も考えてあげる、利益は折半することが商売では大切なのだ。むろん、相場の世界ではこんな信用の話は関係ない。話が横道にそれてしまったので、インドの話は次回以降に譲って今回はこれで引き上げる。
1947年のインド独立当時のインド政府は金の保有を禁止していた。また1968年の金制限芳により金の取引も厳しく制限された。14カラット以上の金の宝飾品の製造は禁止され、個人や家庭が金を保有することは禁じられた。
人間は面白いもので政府が制限すればするほど金が欲しくなる。当時のインドの通貨は信用ならなかった。またインドそのものも信用できなかった時代であろう。個人的な感想であるが、インド人やイラン人等中近東の人々は相手をだますのが当たり前でだまされた方が悪いという論理がまかり通っていた。そうした信用のおけない人々の間では、家族間の取引こそ唯一の信用できる取引となる。華僑や印僑のネットワークが発達したのも、こうした信用不安の中でいかに商売するかというために堅固にクローズされた組織が出来上がたのであろう。筆者の実体験であるが、華僑との取引は大変難しい。相手を信用しないことが前提であるから商売すること自体が困難である。ところが、ひとたび華僑の信用を勝ち取ると、何でも言うことが通るようになり、取引はどんどん大きくなる。一つの例を挙げると香港駐在員の頃、韓国からアルミの形材を購入して中国に販売するという販路を切り開いた。お互いに初めは国籍の違う信頼できない者通しであった。中国の工場に納入した韓国製材料に傷がありクレームを受けた。現地に飛んで写真を撮り韓国に送った。しかし初めの何度かは全く取り合ってくれなかった。それにもめげず、商売を続けると、だんだん信用がついてきた。日本人の言うことは間違いないと韓国人が信用してくれ始めた。中国人も何かと私の立場を考えてくれるようになり、何年か経つとクレームでも写真一枚送ればその分の損害を現金でくれたり、代わりの物を黙って送ってくれるようになった。そうなれば中国の顧客も私に対する信頼が確立した。相乗効果で取引は伸びた。しかし、そうした信用は一朝一夕でできるものではない。だが、ひとたび信用がつけば後の取引は実にスムースに友好的に動く。韓国人と日本人、中国人の取引の輪ができた。
失敗したのは香港華僑から北朝鮮産の亜鉛を日本向けに買った時だ。当時は北朝鮮との取引は何の支障もなく行われており、マカオの代表部から香港華僑を通じて亜鉛地金を買って日本に送った。ところが、取引が完了した2ヵ月後に亜鉛地金の価格が急騰した。東京は大儲けができて、もっとないかと矢の催促を受けた。ところが、香港華僑と面談すると、にこやかに私を出迎えながら「あなたは亜鉛地金価格がこんなに上がることをわかっていたのか?」と笑いながら聞く。若造だった私は「それは天下の大商社です。価格が上がることは当然知ってました」と答えてしまった。香港最大の華僑は、その後5年の私の駐在期間中、一度も私には北朝鮮産のおいしい地金の話はしてくれず、もっぱら小口のスクラップの話ばかりであった。後で気がついたことであるが、華僑の考え方は、価格が上がることがわかっていて購入したのは、華僑の相手を騙したことに等しい。わかっていたら利益は折半するというのが華僑の掟であることを若造の私は知らなかったのだ。それに気付かされた私は商売は安く買って高く売ることではなく、信用を勝ち取ることが最短距離だという哲学を学んだ。つまり相手の立場をおもんぱかって相手の利益も考えてあげる、利益は折半することが商売では大切なのだ。むろん、相場の世界ではこんな信用の話は関係ない。話が横道にそれてしまったので、インドの話は次回以降に譲って今回はこれで引き上げる。